2017年4月5日水曜日

K・チャペックの初期受容についての補足

やれやれ、『チャペック兄弟とその時代』は活字になったばかりなのに、自分が書いた文章にさっそくミスを発見。悲しい。他人のミスを指摘したら怒られるだろうが、自分の論文ならその不出来をここで披露してもよかろう。
拙論「戦間期の日本とK・チャペック」の執筆にあたり、同時代の新聞や雑誌を調査し、K・チャペック邦訳年表(~1945)を作成した。これをみると、1930年代にチャペックの作品が盛んに翻訳され、今にも愛読されている『園芸家12カ月』は既に戦前日本語に訳されていたことなどわかるが、残念なことに年表作成の際には以下の邦訳を見落とした。

・「透視術」(荻玄雲訳、『ぷろふいる』1936・3)
・「出獄」(荻白雲訳、『探偵文学』1936・5)
・「或る管弦楽指揮者の話」(荻白雲訳、『探偵文学』1936・5)
・「農園の殺人」(荻白雲訳、『探偵文学』1936・6)

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