2017年5月5日金曜日

明治末期の日本とチェコ文学 aneb Gustav Meyrink v Japonsku

日本で最初に翻訳されたチェコ文学の作家は誰だろう。カレル・チャペックと考える人が少なくないだろうが、じつはチャペックよりおよそ10 年も早くグスタフ・マイリンク(Gustav Meyrink, 1868-1932)の作品が日本語に訳されている。勿論、国籍や使用言語から言えば、チェコ人ではないが、20 年間程プラハに滞在し、作品中プラハが頻繁に舞台とされることから、フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)やフランツ・ヴェルフェル(Franz Werfel, 1890-1945)とともにドイツ語で書くチェコ文学作家として捉えることも可能である。
ところで、マイリンクの作品は早くも明治末期に日本語に訳されている。明治451912)年に『帝国文学』に発表された小池秋草訳「城外の古缸」(『帝国文学』19125)と「見世物小屋」(『帝国文学』19128)はいずれも作品集『蠟人形の陳列室』Wachsfigurenkabinett1908)に収録されたマイリンクの最初期の作品である。マイリンクは『ゴーレム』Der Golem1915)や『緑の顔』Das grüne Gesicht1917)によって各国で名声を博したが、これらの名作を執筆する前からその作品が日本で翻訳されていたことは注目に値するところである。
また、マイリンク自身は日本をはじめ東洋文化に深い関心をもち、後年にラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn, 1850-1904)の『霊の日本』In Ghostly Japan1899)と『骨董』Kotto1902)の中から16 篇の怪談を訳出し、『日本妖怪史』Japanische Geistergeschichten1925)として刊行した。因みに、『蠟人形の陳列室』の中には新渡戸稲造の著書『武士道』Bushido: the Soul of Japan1900)に触発されたと思われる、武士道を揶揄した短篇「チトラカルナ」Tschitrakarna, das vornehme Kamel が収録されている。『蠟人形の陳列室』が日本の訳者小池秋草の関心を引いたのはそのためでもあろう。



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