2017年6月10日土曜日

日本におけるカレル・チャペックの受容 aneb Jak to bylo s Kájou Čapkem v Žaponsku

日本で初めてカレル・チャペックを紹介したのは、のちに英文学者として知られる長沼重隆がニューヨークから寄稿した「“R.U.R” 人類滅亡から新しき誕生へ ボヘミア作家の傑作劇」(『週刊朝日』1923121)という記事である、とこれまで言われてきた。当時ニューヨークのGarrick Theatreで上演されていたチャペックの初期代表作「ロボット」を「人間が人間の創造した機械的物質文明のために自縄自縛にはまり込み、遂に之がために征服され、滅亡するの日を描き出した深刻な諷刺劇」として位置づけ、戯曲の物語内容を細かく解説したこの評論は日本で最も早くチャペックの作品を紹介したものである、という指摘は籾山昌夫氏や藤元直樹氏の論文にみられ、わたくしも、先日刊行された『チャペック兄弟とその時代』に収録された拙稿においてこの指摘を踏襲している。
しかし、この文章は日本で初めてチャペックの作品を紹介したものではない。
長沼重隆より一ヶ月早く、192212月に『文明協会講演集』に「米国劇団に表れたボヘミヤ劇の影響」(作者未詳)という評論が掲載され、その中にも、「哲学者であるのみならず、文学批評の書物の著者」でもあり、「戯曲家でもありプラーグのヴインフラデイ劇場への劇の提出者」でもあるカレル・チャペックと、「一スラブ人がスラブ民族の為に書いた」という戯曲「ロボット」が簡単に紹介されている。誤字が目立つ文章であり、内容からいっても、長沼重隆の評論のほうがより詳しくチャペックの作品を解説しているが、(一ヶ月とはいえ)長沼重隆より先にチャペックを日本で紹介しているものとしては注目に値する。(「ロボット」ばかりではなく、チェコスロバキアの文化や言葉、ポルカというダンスの由来などについて説明されているのも興味深い。)

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