2017年3月27日月曜日

日本のメディアとチェコ その一 aneb První zmínky o Česku v japonském tisku (1.)

チェコ(ボヘミア)に関する記事が日本の新聞に初めて現れたのはいつだろうか。

明治23(1890)年9月11日に『読売新聞』に「ボヘミヤの洪水」という見出しでボヘミヤにては大洪水にてプラギユーのマルドウ河に架せる有名なる古き橋梁は流失せり右に付き三十人の溺死人あり」という電報が発表されている。同じ日に『朝日新聞』にも「澳国の洪水」という電報が掲載され、ボヘミアに於て非常の洪水ありムロドー河に架けたる有名のプラーグ府古橋落ち溺死者三十人ありたり」と当時のプラハの様子が報道されている。言うまでもないが、「プラギユーのマルドウ河に架せる有名なる古き橋梁」とはカレル橋のことである。1890年9月にプラハは大洪水に見舞われ、カレル橋の一部が流されたが、『読売新聞』と『朝日新聞』はともにその現状を短く報道した。日本の新聞に掲載されたチェコ関係の最初の記事の一つである。


「澳国の洪水」(『朝日新聞』1890年9月11日)

ボヘミヤの洪水」(『読売新聞』1890年9月11日)

1890年9月の洪水でカレル橋の一部が流された。背景の聖ヴィート大聖堂にも注目。

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